清滝狂言・楠原踊

清滝狂言と楠原踊は門司港地区に古くから伝わる古典芸能で、本来は雨乞いの為の芸能です。
かつて門司港地区を楠原村と呼んでいた江戸時代以前、村人は旱魃になると様々な雨乞祈願を行っていましたが、それでも雨が降らない時にこの狂言と踊りを奉納したといわれます。

清滝狂言・楠原踊は地謡と狂言を交互に行う企救郡(現在の門司区・南北小倉区)地域では珍しいもので、この地謡と狂言は永正年間(1504~1521)に時の門司八幡宮(甲宗八幡宮)大宮司であった大神木工頭氏友(おおが もくのかみ うじとも)が守護の大内左京大夫義興(1477~1529)に従って上洛したおりに洛中の公卿に教えを乞い、それを取り入れたと伝わります。その為か踊りの所作は総体的に仕舞に似て優雅であり、中世芸能の名残をよく留めていると言われております。

残念ながら狂言は明治になって一旦廃絶をしたものの、楠原踊は主に当社の例大祭などで奉納披露が続けられ、昭和47年(1972年)3月21日には北九州市の無形民俗文化財の第1号に指定されております。
また明治以後に廃絶した清滝狂言も、残された台本を元に近年復興が進められ、こちらも例大祭などで奉納されております。


例大祭で奉納される楠原踊

能舞台にて披露される清滝狂言