平知盛卿命日


5月2日は平家の将帥として名高い平知盛(たいらのとももり)卿の命日です。知盛卿は平清盛の4男として生まれ、「入道相国最愛の子」と言われるほど才気に溢れた人物であり世に「新中納言知盛」として知られた人物です。源平合戦においては平家の総帥である兄・宗盛を補佐し実質的な平軍の総司令官として活躍し、源軍に対して粘り強く戦いを繰り広げましたが、元暦2/寿永4年(1185年)3月24日(新暦5月2日)の壇ノ浦合戦に敗れ「見るべきものは全て見届けた」との言葉を残して鎧2領を纏って身を投げたと言われます。後に門司側に流れ着いた知盛卿の遺骸を憐れんだ里人が筆立山の山中に供養したのが当社の知盛墓であると伝わります。知盛卿をはじめ平家一門の諸行無常を偲び御参詣下さい。